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 その後、私たちは四人で仏間に向かった。小ぢんまりとした仏壇の前に置かれている座布団にそれぞれ座る。廿六木は正座をしたが、自分は「足が悪い」というもっともらしい理由で住職に断りを入れて胡坐を掻いた。足が痺れたことに気づけないまま、歩けなくなる可能性があるからだ。
 仏壇の香炉には、既に線香が一本突き刺さっていた。
「あら、今日も⋯⋯」住職の妻が、独り言のように呟いた。
「今日も?」私は思わず訊ね返す。「というのは⋯⋯」
「あ、いえ、実は、ちょっとした不思議と言いますか⋯⋯」彼女は曖昧に微笑み、一度、住職に視線を向けた。「よくこうして、いつの間にか、お線香が⋯⋯」
「それは⋯⋯、奥さんでも住職でもない、ということですか?」
「ええ⋯⋯」彼女が困ったように眉を下げた。「こんなこと、滑稽だと思われるでしょうけれど⋯⋯」
「ああ、いえ⋯⋯」廿六木のほうを見ると、彼は小さく頷いた。私は顔を戻す。「もしかしたら、息子さんはおふたりの傍にいらっしゃって、それを伝えているのかもしれませんね」
「まあ⋯⋯」彼女は軽く目を見開いてから、ゆっくりと、滲ませるようにして目を細めた。「ありがとうございます」
 私と廿六木は順番に線香を上げ、手を合わせる。
 仏壇の傍には写真立てがいくつか置かれており、少年の写真の隣に家族写真があった。家族写真に映る三人は、微妙に中心がずれている。まるで端にもうひとり分のスペースを開けて撮ったような写真だった。
「煙草は吸われますか?」唐突に、廿六木がそう訊ねた。
「煙草ですか? いえ、私も妻も⋯⋯」住職が少しだけ眉を寄せた。「あの、それがどうかされましたか?」
「いえ、すみません。私の勘違いだったようです。お線香の匂いと間違えてしまったのかもしれません」
 このヘビースモーカーが煙草と線香の匂いを間違えるはずがないのだが、あまりにも白々しい物言いに、思わず顔が笑ってしまうところだった。軽く咳払いをして、もう一度写真に目を向ける。
 我々の仮説が概ね真相に近いらしい、と確かめられるだけの違和感はある。
 しかし、四人目の家族を見ることはできそうもない。
 写真の中では、桜が咲いていた。
 部屋の出入口に顔を向ける。仏間の障子は開けられており、縁側から中庭が見えた。緑に覆われた木々が並んでいる。
「あれは桜の木ですか?」
「ええ、そうです」
「桜が咲いていたら、壮観だったでしょうね。次は一年後ですか」視線を少し下ろす。「あちらのピンク色の花は?」
「あれはレンゲソウです」
「ギリシア神話にも登場しますね」廿六木が言った。
「仏教じゃなくてか?」
「レンゲとはまた少し違うんです」住職が答えた。「ハスの花をレンゲと言いますが、レンゲソウのこともレンゲと呼ぶこともありますので、たしかに、少々ややこしいですかね」
「へえ⋯⋯」
「なにもないところですが、またいつでもお越しください」
「お昼はなにか食べられましたか?」住職の妻が控えめに訊ねた。「もしまだでしたら、この辺りは、なにもないところなんですけれど、ちょっとしたパンフレットのようなものがあって、お食事処もいくつか⋯⋯」
「ああ、それはありがたいです。ぜひいただけますか?」
 女性はすぐにパンフレットを持って仏間に戻ってきた。観光に力を入れ始めたのか、意外にもしっかりとしたパンフレットで、地元の歴史や観光スポット、お食事処を紹介したマップになっている。この寺もマップに表示されていた。どうやら、いかにもお寺といった、ちょっとした言い伝えのようなものがあるらしい。簡単なエピソード風に、弘法大師との関わりや伝承が説明されている。
 いくつかの世間話をしたのち、私たちはパンフレットを手に縁側から外に出た。そこで住職たちとは別れ、狭い境内を一周してから山を下りて食事をしよう、ということになった。
 小ぢんまりとした御堂の前でお参りをし、辺りを見回す。当然ひともなく、風の音と、葉の擦れる幽かな音だけが耳に届く。
「やっぱり、そう上手くご対面ってわけにはいかないか」
「仮説がどうも確からしいと判明しただけ、かなりの収穫だと思いますが」
「なあ、お前、質問の仕方が下手すぎないか? いきなり、煙草吸ってるか、なんて聞きだすから、どうしたのかと思ったよ」
「煙草の吸い殻を見つけただけです」廿六木が答えた。「少し古いゴミでしたけど」
「ふぅん⋯⋯、姉は喫煙者か。双子の弟のほうは呼吸器系の疾患持ちだったってのにな。あ、いや、性別が違うんだから一卵性双生児ってわけじゃないか」
「そうとも言い切れないのでは? 事実、被害者の首から見つかった指紋は、ほぼ被害者本人と一致した指紋だったわけですから」
「その可能性はないわけじゃないが、どうだろうな。それってたしか、かなりレアなケースじゃないのか? それなら、ちょっとぶっ飛んでるかもしれないが、たとえばこれは超能力の作用で、弟の意識を取り込んだときに、『姉』という存在の痕跡を残さないためにいちばん近い弟の指紋に変化した⋯⋯、とかさ」
「その場合、完全に一致していても良いような気がしますね」
「それもそうだな、うん⋯⋯、まあ、お前の言うとおりだ。仮説がどうやら正しいらしいとわかっただけ収穫だな。家族写真も、ありゃあ端にもうひとり写ってた感じだったし」
「実際、私たちが認識でき、辛うじて記憶していられる情報は、被害者には双子の姉がいる、という程度の、ほんの一部ですからね。私たちは彼女の名前も知らないんですよ。いくら本当に我々が超能力に対して僅かばかりの抵抗が可能だったとしても、彼女本人を認識することはまずできないでしょう」
「俺はもしかしたらいけるかもって思ってたんだけどなあ」
「それ、勘ですか?」
「勘というより、直感」
「同じ意味では?」
「そうか? でも、俺はほら、幽霊みたいなもんだろ?」
「なんの話ですか?」廿六木が此方に顔を向けて眉を顰めた。
「幽霊ってのは、れたくてもすり抜けちまうんだろ? 自分の躰がないから、なにかに触ることができないんだな。でもって俺は、躰もある、触ることもできる、でも、触れていることを確かめられない。歩いてるときだって感覚はないし、腹が減ったかどうかもわからん。それってさ、浮いてる幽霊と大差ないんじゃないかってよく思うんだよ。俺にとっちゃ自分の躰なんてものは無いに等しい。幽霊みたいなもんだ。他人を通じて感触とか痛みってものを知ってはいても、俺自身を実体として認識することは絶対にできないって意味でのな」
「随分と主観的な幽霊ですね」
「つまり、弟が意識だか精神だかを姉に取り込まれたんだとしたら、弟は、他人の躰に自分の意識が入ってるってことだろ? 幽霊が他人の躰に乗っかってる、みたいな状態ってわけだ」
「ああ、なるほど、一ノ瀬さんは⋯⋯」廿六木が緩慢な動作で周囲を見渡した。「自分と通じるものがある、だから、もしかしたら自分は姿を認識することができるかもしれない、と考えた」
「共鳴っていうのか、シンパシーっていうのか、あるだろ、そういうの」
「一ノ瀬さんの超能力自体が、そもそも、共鳴とか共有とか、そういった方向性ですからね」
「そうそう⋯⋯、まあ、当ては外れたみたいだが」
「もう下りますか?」廿六木が腕時計を確認した。「一応、そろそろ昼飯の頃合いですが」
「そうだな」
 廿六木と共に、その場をあとにする。一度、後ろを振り返った。山に囲まれ、大きな砂利が敷き詰められた狭い境内に小ぢんまりと佇む御堂。所狭しと肩を寄せ合う石灯籠。苔に侵食されつつある、穏やかな、薄い顔つきの仏像。
 不意に、視界の端に、明るい色を捉えた。
「一ノ瀬さん?」廿六木が歩みを止めて此方を見た。
「こっちにも、さっきの花がある」
「花?」廿六木は私の視線を追った。「ああ⋯⋯、本当ですね。レンゲソウでしたか」
「わざわざ植えたのか? そんな感じだよな」
「たしかに、自然に生えたにしては整然と敷地沿いに並んでいますが⋯⋯」
 小ぶりで鮮やかな花だ。花びらの先は濃い紅紫色。中央に向かって薄く白みがかったその色合いがいくつも並ぶ様は、どこか懐かしい。
「行きましょう」
 廿六木の声に、私は頷きながらもその場から動けないままでいる。
 私の視線に、藕花れんげは軽やかに躰を揺らした。