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 答えには、すぐに辿り着いた。
「取り込みたい相手を殺す?」
「そのとおりです」
「ああ、まったく⋯⋯」一度大きく仰け反り、天井を見上げる。「そうか、姉が超能力者だとすれば、弟を殺して、弟という存在だか意識だかを取り込んだ⋯⋯、その代わりに、姉がいたという事実が消える。俺たちの記憶に残らない⋯⋯、おいおい、動機まで判明してしまったじゃないか」
「あくまで仮説の上に組み立てた私たちの推測に過ぎませんよ」廿六木は片手の指で煙草を挟み、薄く開けた口から煙を吐き出した。「もっとも、そうなると、彼らが双子であることもこの推測を僅かに後押しするわけですが」
 部屋に、インターホンの音が響いた。
 席を立ち、リビングの壁際のモニタを確認する。小さな青い光が点滅し、画面には配達員の男性が映し出されていた。ボタンを押して応答し、一階エントランスの扉を開けてやる。
「私が受け取りましょうか?」廿六木が椅子に座ったまま言った。
「いや、大丈夫だ。君はどうせ、俺が持つと天麩羅を粉砕するとでも思ってるんだろうが、心配は無用だよ」
「粉砕するとまでは思っていません」
「落としたりもしないさ。たぶん」
 再度インターホンが鳴ったので、玄関を開けて配達員から食事を受け取る。直前に、配達員の触覚を確かめた。そこそこ袋は熱いようだった。
 落とさないように慎重に抱え直してリビングに戻る。廿六木は小さく頭を下げた。
「実はビールも冷やしてあるんだ」
「気が利きますね」珍しく廿六木が微笑んだ。
「悪いが、充分に冷えてるかどうかは知らないからな」
 私が冷蔵庫からビールを取り出している間に彼は席を立つと、テーブルから少し離れたところで携帯灰皿を取り出して吸い殻を押し込んだ。窓を少しだけ開けてから、廿六木は此方に戻って再度着席する。
 袋から箱を取り出し、テーブルに置いた。手を合わせて蓋を開ける。小さな区画に色とりどりの料理が上品に少しずつ詰められている。しかし、箱が大きいのでそこそこの量はある。目の前の男も、割り箸を手に箱の中身を観察しているようだ。
 やがて廿六木が割り箸を割り、天麩羅のひとつに手を伸ばしたところで、私は口を開いた。
「明日、年休取ってくれる?」
「は?」廿六木の動きが止まった。
「いやさ、ちょっと憧れてたんだよな。聞き込み捜査ってやつ?」
「聞き込み調査?」
「もちろん、俺たちの仮説を確かめにいくんだよ」
「まさか、そのためのビールだったんですか?」廿六木が呆れたように目を細めた。「道理で⋯⋯、一ノ瀬さんにしては妙に気が利いたことをするなと思いましたよ」
「頼むよ。な、俺も取るからさ」
「年休を取らせた上で仕事をさせるなど、監察官室としてあるまじき行為では?」
「仕事をしようなんて言ってないだろ」
 その後、廿六木は不貞腐れたのか終始無言で天麩羅を次々と頬張り、遠慮なくビールを流し込んでいたが、翌日には鬱屈とした表情を薄く浮かべながらも車でこのマンションを訪れた。いつもと同じ、手本のようなビジネススーツを着用している。
 私たちは、廿六木が運転する車で或る寺院に向かった。高速を下りてカーナビどおりに車を進めていくと、周囲はみるみる緑に染まっていく。人どころか、家を見かけることさえ難しい。車の窓から見える地面は基本的に背の高い雑草に覆われている。途中でサービスエリアやコンビニに立ち寄りながら、昼前には目的地近くまで来ることができた。
 小さな山の中、カーブが連続する急な坂道を上がっていく。右手にはほぼ垂直に聳え立った崖があり、左手には鬱蒼とした濃い緑。しばらくすると、心許ない高さのガードレールさえもなくなり、緑に覆われた狭い道が現れた。
「いやあ、しかし、すごいところにあるな」
「まったくですよ」廿六木は慎重にハンドルを操作しながら言った。「そういえば、一ノ瀬さん、車の運転もできないのにどうやって警察官になったんですか?」
「そりゃあ、おくにの力でちょちょいのちょいさ」
「飼い殺しの詫びってわけですか」廿六木は低い声で呟くと、窓から顔を出し、道幅を確認しながらハンドルを操作した。たしかに、少しでも気を抜けば今すぐにでも脱輪してしまうのではないかと思わせる道の狭さだ。
 ようやくカーナビが終了し、目的地に到着する。大きな白い砂利が敷き詰められた簡易の駐車スペースに車を停めると、向かいに小ぢんまりとした古い民家が見えた。玄関の前で犬が地面に丸まって眠っている。棒だけで組み立てたような庭の物干し竿には、くたびれたTシャツが何枚か干されていた。
 すぐ隣が寺院の敷地のようだ。門のようなものは特にない。砂利の上を歩くと、正面突き当りに控えめな御堂と石像が見える。左を向けば、戸口と縁側が面した和式の建物。一方で、右手側はさらに山になっており、道が続いているらしい。入口脇には手作りの看板が立てられていた。
 左手の建物に向かって声をかけると、すぐに引き戸が開き、中から僧侶が現れた。今朝、車の中から一度電話を入れていたためか、「縁側からどうぞ」とすんなりと中に招き入れられた。
「では、貴方が住職の⋯⋯」
「七見です」僧侶の男性が答えた。よく響く低い声だった。「その節はたいへんお世話になりました⋯⋯、ああ、少々お待ちください、今、妻がお茶を淹れてまいりますので⋯⋯」
「あ、いえ、おかまいなく」そう答えてから、通された部屋を軽く見渡す。一般的な和室だったが、すぐ外に面しているためか解放感があった。「失礼ですが、お坊さんは七見さんおひとりですか?」
「なにぶん小さな寺でして、ええ、私と妻だけです。こんな山の中ですから⋯⋯」
 しばらくして、女性がお盆に載せたお茶を運んできた。
「ありがとうございます」
「いえ⋯⋯」女性は微笑んだが、その笑みに覇気はない。「遠いところまでわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」
「此方こそ突然押しかけてしまい申し訳ありません、今日はあくまで私用ですので、捜査というわけではないのですが⋯⋯」
「主人から聞いております」女性はお茶を静かに置いた。「もしよろしければ、あとでお線香を上げてやってください」
「もちろんです」
 私と廿六木、住職とその妻の四人でテーブルを囲み、当たり障りのない会話を慎重に交わしながら湯呑に口をつけた。言葉を交わしているのはほとんどが自分と住職で、廿六木と住職の妻は私たちを見つめるだけで口を開く様子はない。
「あの、息子の件ですが、捜査は、たしか⋯⋯、そろそろ落ち着くものと伺っておりましたが」住職は言葉を選びながらそう言った。自殺とするには不可解な点があり、他殺とするにもやはり不可解な点があるこの事案は、既に打つ手もなく行き止まりの状態だ。それを非常にオブラートに表現すると、そのような表現になる。
「実は、担当が少し変わったんです」私は隣の廿六木を片手で示した。「此方の、廿六木という男が引き続き担当することになりました。本日は、そのご挨拶も兼ねて⋯⋯」
「そうでしたか」住職が頷く。「なにとぞよろしくお願いいたします」
「廿六木です」廿六木が頭を下げた。「お力になれることがありましたら、いつでもご連絡ください」
「忘れずにこうして行動してくださる方がいると知ることができて、少し救われた気持ちです」
 柔和な笑みを浮かべてみせた住職に対して、廿六木はなにも答えなかった。自分も、曖昧な笑みを浮かべるにとどまる。今まさに、彼らに忘れ去られたまま此処でその会話を聞いているかもしれない娘の心情に寄り添うことは、自分には難しかった。