(4,3)

     4

 三宅は数秒間、放心したような表情を此方に向けていたが、やがて理解したのか、ゆっくりと笑みを見せた。
「日本語でなければ通じないジョークなのが、惜しいですね」
「そうなんだ。でも、こればっかりは仕方がない。バベルの塔は崩壊して久しいから⋯⋯、ああ、でも、今回はなかなかの自信作だったんだけどな」
「しかし、無限大の宇宙を、有限の紙で表現できるのでしょうか?」
「どうしてですか? 僕たちはたった一筆書きで、無限を表現することができますよ」空中に指で何度も軌道を描いてみせる。「それは、二次元で無限を表現できていることになるのでは?」
「ああ⋯⋯」三宅は頷く。「紙の上で定義をしておけば、投影した映像の中でそれが表現できるのですね」
「ただ、ええ⋯⋯、そこがね、危ういところでもあります。有限の中に無限をしまいこめ、と定義しているようなものだ。そう定義した、ゆえにかく在るべし、の一言ですべてが片付いてしまうならば、それこそ、詭弁も空論もなんでもありになってしまいます。まあ、超能力という現象が現実に再現可能である時点で、さもありなんという感じですが」
「あ、そうでした」そう言って、三宅は恥ずかしそうに笑った。「そういえば、超能力のお話をしていたんでしたね」
「つまり、超能力を持たない人間か、超能力を持つ人間かによって、適用される法則が異なるわけです。そのように世界が仕組まれているのですから⋯⋯、ほら、単純明快、わかりやすいでしょう」
「ええ、なるほど⋯⋯」三宅は斜め上を見上げると、すぐに視線を落とした。「この説であれば、物理法則を無視してしまうという超能力の厄介な点をクリアできる、というわけですか」
「僕の場合は、スイッチによる電気回路の切り替えが適用されない、ということだね」
「私は、ペンで文字を書く、という仕組みの枠外にいる、ということに?」
「そうなりますね。もちろん、超能力を発動するにあたって、脳が補完していることもあるとは思いますよ。わかりやすいものは⋯⋯、ほら、こないだの。あの子たちみたいな、Ⅰ型の超能力だったりね。でも、その補完機能もまた、仕組みによって生み出されたにすぎないものです」
「ということは⋯⋯」三宅は自身の顔に触れ、手を数度往復させて頬を撫でた。「超能力の治療、という考え方自体が、的外れであり、大間違いなのですね」
「仮に補完機能の仕組みを解明できたところで、治療できるものではない、と考えています。それはもう、治療というより改造に近い。もちろん、たとえこの世界がホログラフィックな投影映像ではなかったとしても、同じことが言えるでしょう」
「疾患という分類もおかしい⋯⋯、ということでしょうか」
「どうだろう。そこはいいんじゃないかな? いや、これは積極的に肯定しているわけではなくて、どちらかといえば、消極的理由だ。現状はそう分類する他ない、というね。だけども、病気とはいってもね⋯⋯、治すもなにも、これが僕たちにとって普通のことなんだ。治しようがない。正常な状態から外れてしまった、だから前と同じ、正常と定義される状態に戻そう、という話ではないんだ。超能力に限った話ではない。どちらが正常で、どちらが異常か、というのは、多数派、少数派の分類と一致する。異常が多数派なら、それはもう異常とは呼ばないよ。個体差とか、ばらつきとか、そういったものになる。正常か異常か、というのも、結局のところ定義次第だ。僕たちにとってどちらが有益か、どちらがより好ましいかだね。だから、僕はこの分類があまり好きじゃない。正しさなんてものを主張するよりも、潔く、自分たちにとっては此方のほうが都合が良い、と述べたほうがよほどマシだと思ってしまうのだけれども⋯⋯、君が言いたいのは、そういうことかな?」
「私たちは、グルーピングをしたがる生き物なのかもしれません。自分たちが決めた物差しに従って、組分けをして⋯⋯、どうしても外れてしまう、いわば仲間外れたちを、例外や異常だと思うことで安心をしている、とか」
「なんにせよ、なにごともほどほどがいちばんだね」
「四方田先生は⋯⋯」三宅は何度か視線を彷徨わせた。「この社会が、いつか私たちのような存在を、あくまで多様性のひとつとして受け入れる日が来ると、本当にそう考えておられるのですか?」
「そんなものは特に望んでいないよ」一度天井を見上げてから、顔を正面に戻す。「でも、僕たちのような存在は、周囲の理解を得ることもできないし、安全な保護も、充分な保障もない。この体質が、すなわち理不尽な扱いを受けなければならない理由にはならないはずだ、とは考えている。だからこうして、細々と活動しているわけだけれど⋯⋯、そうだね、どうして僕たちは、こんなにも当たり前のことをわざわざ主張してやらなければならないんだろうって、思うこともあるかもしれない。でも、よく考えてみてほしい。僕たちはね、別人なんだ。他人なんだよ、面白いことにね。僕たちは、ひとりひとりが宇宙みたいなものさ。僕という宇宙、それから、君という宇宙。それぞれの宇宙は、さまざまな情報を記述し、それを展開している。そりゃね、僕と君とで、なにもかも、てんで違うわけですよ。うーん、少し言葉の範囲が広すぎたかな。たとえば、尺度とか、基準とか、物差しとか⋯⋯、僕の宇宙ではゼロを基準にしているけど、もしかしたら、君の宇宙では百を基準にしているかもしれない。でも、君はそれをゼロと定義しているかもしれないわけだ。ほら、もう、なんにもわからなくなってきたでしょう」
「こうして今、私が四方田先生と会話が成り立っていることさえ、なんだか、ものすごい奇蹟のように思えてきました」
「僕たちの場合は、お互いに歩み寄ろうとする意思があるからだ。僕にとってのゼロはこうなんだけど、君にとってのゼロはどうだろう、という具合にね。そこで、君の言うゼロが実は僕にとっての百だったとする。そしたら、僕はそのことを伝えて、じゃあ一旦、この場ではゼロをこう定義しましょう、と互いに擦り合わせていく⋯⋯、うん、数字で例えたのはまずかったな。余計に話をややこしくしてしまった」
「先生が大幅に歩み寄ってくださるおかげで、私は今、こうして会話ができている、ということは、なんとなく理解ができます」三宅が微笑んだ。「私たちひとりひとりが宇宙だ、という例え話のように⋯⋯」
「あながち、例え話じゃないかもしれない」
「え?」
「月並みな表現だし、そもそも、人工的な染色だ。でも、宇宙だってね、ああいった写真は、やはり僕たちが勝手にフィルタをとおして色を割り当てたものですから。そもそも、僕と君が同じものを見ているという保証がないのだし、それなら、似たようなものじゃないかと僕は思ったりするんだけれど」
「染色?」三宅は少々慌てた様子で言った。「あの、写真、というのは、いったい⋯⋯」
「ほら」僕は天井を指差した。三宅は釣られて顔を上げたが、すぐに、不思議そうに目を見開いたまま顔を正面に戻した。