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「超能力に、ですか?」三宅はわかりやすく驚いた表情を浮かべた。「そのお話は、初めて伺いました」
「そりゃあ、初めて言ったからね」
「あの⋯⋯、良かったんですか?」三宅は躰を縮こませ、声を潜める。「こんなところでポロッと零してしまって良い内容では⋯⋯」
「うーん、でもなあ、べつに発表する機会があるわけでもないし⋯⋯、だってそうでしょう? 僕たちが勝手にやっていることを、政府うえに知られるわけにはいきませんからね。それは、僕たちが望んでいる未来とは対極に位置するわけだ。ああ、そもそもだけど、僕はべつに、なんらかの研究をしたとか、実験をしたとか、そういうわけではないよ。超能力っていうのは、ランダムで発動するものではなくて、僕たちが望むときに望む結果を得られるものだ。それもひとつの再現性だよ、もちろんね」
「ああ、なるほど、そういう⋯⋯」三宅は小刻みに頷いた。「驚きました。私はつい、もしや、超能力者を生み出す手法に再現性を得られたのかと」
「そんなことがわかったら、僕はとんでもない科学者になれる」
「間違いなく、歴史に名を刻むでしょう」
「ブラックリストのほうでね」
「まさか⋯⋯」三宅が曖昧に笑う。
「君は、不思議に思ったことはない?」足を少し開き、椅子の背に躰を預けた。「どうして僕たちは、いついかなるときも超能力を扱うことができるんだろう?」
「いえ⋯⋯、どうでしょう⋯⋯、あまり深く考えたことはありませんでした。歩こうとしたときには歩くことができるとか、腕を上げようと考えたときには腕が上がっているとか、そういったものと同列なのでは?」
「まったく違います。よく考えてみてください。君は、あそこ、壁のスイッチを押すことができる。もちろん私も、スイッチを押すこと自体はできる。でも、君が押せば電気のオンオフが切り替わるのに、僕が押すと、うんともすんとも言わない。先ほど三宅さんも仰っていたとおり、これは不思議な現象であって、超能力という謎の中でも最も不可解な点のひとつなわけです」
「そうですね。私の場合でも同じで⋯⋯、インクが切れているわけでもないのに、何度紙に擦りつけても書けないんです。なにか、目には見えない力に阻まれているみたいだって、よく思います」
「そう⋯⋯、そうなんです。そうだ、一度試してみたかったことがあるんだけど⋯⋯、協力していただけますか?」
「はい、ええ、私で良ければ」
「三宅さんでなければできないことです」テーブルの上に置かれている、男の手帳を片手で丁寧に示す。「そちらの手帳に、ペンで文字を書いてほしいんです。ただし、同時に超能力を使用すること。ペンと念写、同時です。できそうですか?」
「文字は、何を書きましょう?」
「では、君の名前を」
「わかりました」
 三宅は慎重にペンを持ち、開いた手帳のページを見ながら、ゆっくりと息を吐き出した。ボールペンのペン先を紙に押し付けたところで、三宅は一瞬、怪訝そうに眉根を寄せる。此方の様子を一度伺ってから、彼は静かにペンを動かした。
 ペン先を、よく観察した。ペンの動きに合わせて三宅の名前が出現するが、やはり、予想通り、コンマ数秒の遅れが見られる。
 名前を書き終えた三宅は、自身の名前と此方の顔の間で視線を往復させた。
「ありがとうございます。どうでしたか?」
「そうですね⋯⋯、ペンの動きに合わせてうまく文字を書き出すつもりだったんですが、どうしてもずれてしまうというか⋯⋯、こう、たとえばですけど、磁石の同じ極同士をくっつけようとしたときの、直前でなにかに阻まれるような、あんな感触がしました」
「うん。僕の予想通りだったよ」
「この実験から、なにがわかるのですか?」
「超能力というものが、脳による補完機能だけでどうにかなるものではない、ということかな」
「それは、つまり、現在の通説をひっくり返す大発見ですが⋯⋯」
「君、あの通説で納得していたの?」
「いえ、そういうわけではありません。たとえ脳が千パーセントの力を発揮して頑張ったところで、現実世界の物理法則まで捻じ曲げるなんて不可能だろうってことは、誰にだって容易に想像がつきます。ただ、じゃあいったいなんなんだ、と問われると困ってしまう、といいますか⋯⋯」
「仰るとおり、超能力の厄介なところは、物理法則を無視できるという点ですからね。では、この点をクリアするためにはどうすれば良いか。もっとも簡単な解決方法は、この現実世界はそう仕組まれている、と解釈することではありませんか?」
「仕組まれている、ですか? なんというか⋯⋯」三宅は言葉を選んでいるのか、視線を忙しなく揺らした。「穏やかではありませんね」
「論文を紹介しましょうか?」
「あるのですか?」
「ええ、もちろんです。この学説はたいへん興味深いですし、なにより非常に面白い。まあ、この学説に従えば、生物学、その中でも、生命というものに対する僕の考え方やその前提がしっかりと崩壊してしまうわけですが⋯⋯、いや、待てよ。ランダムにと命じておけば解決するのか。そうか⋯⋯」
「その学説、どういったものか、簡単に教えていただけませんか? とても気になります」
「そうですね、一言で言えば⋯⋯、この世界はホログラフィのようなものだ、という説です。君、バーチャルリアリティを体験したことはある?」
「VRですか? ええ、一度だけ体験したことはあるんですが、お恥ずかしいことに、酔いが酷くて⋯⋯、すぐにゴーグルを外してしまいました」
「あれは、ゴーグルの画面上に表示される映像を現実のように体験できたり、映像の中に自分が飛び込んだように感じられるわけだけれども、そうすると、目から入ってくる視覚情報と、実際の躰の動きで不一致が起こるわけです。脳と躰で認識が食い違っている状態ですからね。当然、酔いもするでしょう」
「つまり、この世界はバーチャルリアリティだというのですか?」
「身も蓋もない言い方をしてしまえば、そうです。VRの場合、プログラムされた情報が、さも立体であるような三次元空間を展開していますが、それと同じように、この現実世界⋯⋯、もっと大きく言えば宇宙かな。その本来の姿は平面であって、本質はその二次元平面に記述された情報に過ぎない。僕たちが考える『存在』というものは、それを立体的に投影した映像に過ぎないのではないか、ということです」
「でも、VRと違って、僕たちはこの世界のものを実際に手に取って触ることができますね」
「仮想現実において、それも、いずれ可能になるでしょう。触覚のジャックができれば、れたと感じることもできます。この物体を触ったとき、電気信号の放出、それから、体内の化学物質がどのような挙動をするか⋯⋯、それらを事前に記述しておけばいい」
「なんだか、少し、寂しい気もしますね」
「寂しい、か。ふぅん⋯⋯」
「あ、ええ⋯⋯、そうですね。実はゲームの中の世界だった、となると、ぞっとします」
「僕の場合は、『外側』が存在しない、と考えたときのほうがぞっとするね。でも、考えてみれば、宇宙がなにもない無の空間から生まれたのだとすれば、やはり、三次元よりもより単純で、基本的な存在から時空が発生するのではないか、という発想に至るのはごく自然な流れじゃないかなと、僕なんかは思うけれど」
「たしかに⋯⋯」三宅は大きく頷き、微笑んだ。