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 響子が食事を終えたのは、昼休みが終わる十分前だった。
 慌てて弁当箱や箸入れを布に包もうとしているが、彼女の手許はもどかしい。結局、お世辞にも丁寧とは言えない包み方で包んだ弁当箱と箸入れを、彼女は巾着の中に押し込んだ。すぐに立ち上がり、彼女はひとりで教室のドアに向かう。途中で何度か此方を振り返るのはいつものことだ。早く行け、という意味を込めて手を軽く払ってやると、響子は腕を大きく左右に振った。残念ながら、意味は伝わらなかったらしい。
 しばらくして、自分はひとり、無人の音楽室で天井を見上げた。
 静かだ。
 世界がこれくらい静かであれば、もう少しくらい、好きになれたかもしれない。
 自分に聞こえるものは、絶えず垂れ流されている人間の思考だけ。耳自体は聞こえていないので、声となった思考以外に、自分は音というものを知らない。
 こんなもの、代替でもなんでもない。
 不自由でしかない。奪われた挙句、また奪われるだけの能力。そう諦めて生きてきた。
 そうして諦めて、諦め続けて、自分の人生は超能力という足枷に繋がれたまま底辺を彷徨うことしかできないのだと見切りをつけたとき、唐突に、僅かな執着を手放すことに抵抗がなくなった。一年前のことだ。生への執着。この世界のどこかには、自分が穏やかに生きていける世界があるのではないか、という、夢物語のような、ほんの僅かな希望。それを、あのとき、自分はたしかにあっさりと手放した。
 妙に躰が軽くなった気がした。捨ててしまうだけで、こんなにも軽やかだった。投げやりな軽さを手に入れた自分は、もっと早くに諦めてしまえば良かったのだと、その軽やかさの上辺だけを見て思考を放棄した。
 もともと、小学生の頃から、生まれつき色素の薄い髪や瞳もあいって、不良を気取った生徒に絡まれることが何度もあった。その上、耳が聞こえず、話すこともできない。教師にとっても、生徒にとっても、自分は恰好の的だった。
 生まれは辺鄙な片田舎で、お世辞にも治安が良い地域とは言えなかった。不良気取りの生徒がそこらじゅうでカツアゲをし、自転車や単車が廊下を走るわ爆竹は鳴るわ、割れていない窓を探すほうが難しいという、かなり時代の遅れた場所だったと言わざるを得ない。とはいえ、その頃はまだ、ただ息をして、ただ歩いているだけで痛い目を見ることになにも思わないほど諦めてはいなかったので、抵抗したり、手を出された分だけ出し返すこともあった。
 母はいない。出産した病院で、俺の耳が聞こえていないことが判明した時点で、家を捨てて出て行ったらしい。数年後、超能力を保有していることが発覚した。ただでさえ子どもを疎ましく感じていたであろう父は、それからというもの、気味が悪くて仕方がない、という態度を隠しもせず、此方に関わってくることもなかった。しかし、それでも、生きていてもらわなければ困る。国家から父に支払われる莫大な手当という名の口止め料のために、俺が死なないように見張るだけの男。それが、自分にとっての父という存在だった。
 昼間には常に苛立った父に意味もなく蹴り飛ばされ、深夜には泥酔して帰宅した父に酒の瓶で殴られる。食事の余りとも言えない残りカスが、自分の唯一の食事だった。そんな、怪我と不健康にまみれた毎日。
「殺してもいい」一度だけ、はっきりとした父の言葉を聞いたことがあった。中学二年のことだった。「死体が見つからなきゃ、金だけが永遠に手に入るのに⋯⋯」
 その頃には、アルバイトを探し始めていた。当然、超能力者であることは隠し、年齢も偽ったが、耳が聞こえないことと唯一の肉親からの援助は見込めない家庭環境であることは隠さずに伝えた。父の代わりに俺の名付け親となった祖父母は、しかしその後まもなく亡くなったと聞いている。父を忌避して、親戚も此方に手を差し伸べることはしない。そういった事情に憐みを向けられることに対して、当時の自分は、上手く消化できない、苛立ちにも似た感覚を常に覚えていたが、それでも、その憐みを利用することが、当時の自分にとっていちばん手っ取り早く、そしていちばん安全だった。
 耳が聞こえないため発声もままならない子どもの面接をおこない、その上採用してくれたのは、本当に小さな工場だった。ろくな私服を持っていなかったので、制服のまま通わなければならず、中学生だと気づかれないように学校から少し離れた場所を選んだ。その工場は、工業団地の敷地の隅にあり、作業内容は箱にシールを貼るだけ。
 たった数人の工場の従業員のうち、見るからに人の良さそうな男は、俺が働くことになってからというもの、小型のホワイトボードを持ち歩いて筆談をした。他人の無秩序な思考しか知らない自分は、当時、文字と音があまり一致しておらず、洪水のように流れ込んでくる思考の意味をすべては理解できていなかった。それでも、この男性が善意の人間であることも、俺が中学生であることを知った上で雇っているのだろうこともなんとなく理解していた。
 中学生を雇い、それを黙っていたことが明るみになってしまったのは、半年後のことだった。むしろ、半年間も隠し通せていたことが奇蹟的だったのかもしれない。真っ先に自ら申し出て、アルバイトを辞めた。結局、男も退職した。その後、工場がどうなったのか、男がどうなったのか、男が時折ホワイトボードにぎっしりと文字を詰め込んでまで熱心に話していた家族がどうなったのか、自分は知らない。
 自分は、他人の人生をも簡単に底辺に引き摺り込む存在であるのだと、ようやく自覚したのがこのときだった。
 それからは、短期のアルバイトを転々とし、年齢詐称に気づかれる前に辞めては次を探す、といった日々を過ごしていた。学校など辞めて、家を出て、中卒ですらない人間をどうにかして働かせてくれる職場を探したほうがいい、という考えが何度も頭を過ぎったが、そのたびに、ホワイトボードに書かれた丁寧な筆跡を思い出した。
 『高校の入学式だけでも出ておくといいよ。リレキ書に高校の名前を書けるのは大きいからね』『でも、卒業前に家出したくなったらいつでも家においで』。
 男がどこに住んでいるのか、自分は知らない。仮に知っていたとして、まだそこに住み続けている保障もない。一言くらい感謝の言葉を述べておけば良かった、と唯一後悔している相手だったが、万が一再会できたところで相手は良い顔をしないだろう。
 それでも、男の言葉どおり、ひとりで生きていくためにも高校までは通うことを決めた。授業中に堂々と寝たり、保健室や空き教室でサボる姿勢は変えなかったが、ひととおりの勉強だけはした。図書室の書籍で手話も覚えた。図書室にいた司書の女性が趣味程度に手話を齧っており、此方の事情を知っていたらしい女は、やはり僅かな憐みと共に俺を図書準備室に通してくれた。そのおかげで、残りの一年間は授業に出席せず、図書準備室で人の目を気にせずに勉強を進めることができた。
 どちらかといえば、恵まれていたほうだと思う。自分の人生に僅かでも希望を見出すことができていた程度には、悪い環境ばかりでもなかった。
 だが、進学した高校で、唐突に、なにもかもがどうでもよくなった
 なにがあったわけでもない。本当に、なにもなかった。今まで生きてきた環境とは比べ物にならないほど、綺麗で、清潔で、穏やかな場所だった。外見が気に入らないだの、その態度を改めろだの、とんだとばっちりのようなくだらない思考ことばが精々だった。
 だというのに、他人の剥き出しの感情を聞き続けてきたせいか、突然、ぷつりと糸が切れた。なにも聞こえないイヤフォンを常に耳にして、他人との関わりを完全に放棄し、授業を放棄し、成績も評判も未来も放棄した。
 張り詰めていた糸は抵抗なく切断され、その糸の先で支えられていたものは、簡単に倒れて起き上がらない。
 死ぬのは御免だ。これは俺の人生だ。己以外の人間に介入され、邪魔をされ、死に向かうよう扇動されてやる気はさらさらなかった。牙を剥いて、この手ですべてを殺してでも生き延びてやりたかった。けれど、そう呪い続けるためのエネルギィは、既に底をついていた。
 二階堂響子に手を差し出されたのは、そんなときのことだった。