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【つまり、いなくなった人の分だけの質量は、なにかの形で、この世界のどこかにあるということですよね】小さなカップに入ったグラタンを箸で器用にちまちまと口に運びながら、響子が話を再開させた。
「お前が食ってる弁当も、元を辿れば人間の分子だったかもしれねえしな」
俺の言葉に、彼女は箸を持つ手の動きを一瞬止めはしたものの、不服そうに口許を歪めただけだった。その後、残りのグラタンを一口で食べる。想定していた反応ではなかったので、あまり面白くはない。
「というか、お前⋯⋯、なんか、いつも同じ弁当食ってねえか?」
【同じお弁当?】響子は弁当箱を一瞥した。【おかずが同じってことですか? でも、お弁当のおかずなんて、大体同じなんじゃ⋯⋯】
「さあな」
【五十嵐くんが聞いてきたくせに⋯⋯】グラタンを呑み込みながら、彼女が呟いた。【そういえば、さっきのお話って、輪廻転生⋯⋯、って言うんでしたっけ? なんか、それっぽいですよね】
「それでいくと、俺たちの前世はよっぽど悪人だったのかもな」
【悪人ですか?】響子は不思議そうに小首を傾げた。【どうして?】
「超能力なんてもん生まれ持っちまったんだ。前世で相当やらかしたんだと思うだろ」
【たしかに不便ではありますけど、少なくとも私は、五十嵐くんほど不快な思いをしたことはありませんし⋯⋯、超能力に対して、そこまで嫌な感情はありません】響子は箸を置くと、水筒の蓋を開けた。【でも、意外でした。五十嵐くんって、輪廻転生とか信じないタイプの人だとばかり】
「信じちゃいねえよ。でも、もしもの話くらいは俺にだってできる。誰だって、この世に存在するもんについてしか話せないわけじゃねえだろ。まあ⋯⋯、輪廻転生があるっつう前提を強要されるのは困るって意味だ。俺にとって、輪廻転生の概念は、当たり前に受け入れられるような前提じゃねえし。でも、もし輪廻転生があるとしたら、くらいの仮定の会話なら、俺も好き勝手言える。信じるとか、信じてないとかはよくわかんねえけど」
【仮定と前提は、別物ですか?】そう言って、水筒に軽く口をつけた。
「それ自体が正しいかどうか、それを問題にするかどうかの違いじゃねえの。いや、俺が言いたかったのは、あくまで躍起になってまで否定するつもりがねえってだけで⋯⋯」
【ふぅん⋯⋯、あ、それじゃあ、幽霊とか未確認飛行物体とか、あとは宇宙人のお話とかも、雑談程度なら付き合ってくれるってことですね】
「今日はいつにもましてよく喋るな、お前」
【それ、遠回しな『黙れ』という合図ですか?】
「そんときは黙れって直接言うわ。思ったことをそのまま言っただけだろ。それが良いとか悪いとかの話はしてねえよ」何気なく、窓のほうに視線を向ける。
そのとき、小さな悪戯を思いついた。
「おい」できるだけ自然な反応を装って、少しだけ驚いた素振りをしながら窓の外を指差す。「あれ、UFOじゃねえのか」
【えっ!】響子は俺の指に釣られて窓の外を向くと、俊敏に立ち上がった。【嘘、嘘でしょ、どこですか?】
「さあな」
【え?】
「嘘に決まってんだろ、バカ」
舌を出してみせると、響子はみるみる眉を寄せた。ようやく得られた想定どおりの反応にか、いつの間にか自分の舌は引っ込められており、代わりに口角が持ち上がっていた。しかし、それを自覚した途端、顔に入った不自然な力や舌の位置が妙に気になってしまい、意識を彼女に向け直す。
【最低です】不機嫌であることを隠さずに、彼女は呟いた。【最低、そうやって人のこと揶揄って、バカにして⋯⋯、そんなの、楽しいですか】
「お前を揶揄うのは楽しいが、そこまで怒るとは思ってなかった」両手を軽く持ち上げて、手のひらを見せる。「悪かった」
【私だって怒ることもあります】
「そういう話題が好きなんだろうと思ってよ。俺としては、ちょっとしたサービスのつもりだったんだ。ほら⋯⋯、あれだ、オーパーツとか、好きなんだろ」
【え?】響子は椅子に座りながら訊ねた。【どうしてわかるんですか?】
「さっき、自分で言ってた」彼女の表情が純粋な疑問に切り換わったのを確認してから、ホールドアップしていた両手を下ろす。「UFOとか宇宙人とか、雑談程度なら付き合ってくれるんだ、とかなんとか。そういう話がしてえってことだろ」
【そういえば⋯⋯】彼女は肩を竦めながら、視線を僅かに下に逸らした。【ごめんなさい、あの、騙されたときの自分の反応が少し恥ずかしくって、五十嵐くんに怒ってしまいました。あの⋯⋯、ごめんなさい】
「べつにいい」
響子はしばらく気まずそうに躰を縮こませていたが、俯いたまま、ときどき此方を目だけで見上げていた。目が合う。顎を持ち上げてみせると、ようやく彼女は箸を手に取って弁当の続きに手をつけた。
その様子を見ながら、紙パックのカフェオレを飲み干した。空になったあと、ストローを何度か短く吸い込む。いつもであれば、音を立てるなだの行儀が悪いだのと注意をしてくるはずなのだが、今日は黙って俯いている。控えめに頬が動いているので咀嚼している最中らしいが、彼女の場合は、口の中になにが入っていようと関係がない。彼女は空気を震わせることなく、直接、脳に声を届けることができるのだ。
「お前がしおらしいと調子が狂う」親指で、ストローを紙パックの中に押し込む。
【私はもともと、どちらかといえば、しおらしい人間だと思いますけど】口を開くことなく、彼女が呟いた。
「自分で言うか?」指の爪で紙パックの端を起こし、パックを解体して押し潰した。「お前がしおらしいのは見た目だけだろ。中身はしおらしいの『し』の字もねえよ。あー、いや⋯⋯、だからって、俺はそれが嫌だとも悪いとも言ってねえし、さっきも言ったが、俺は思ったことをそのまま言ってるだけで⋯⋯、良いとか悪いとかの話じゃねえからな、これ」
【はい。ありがとうございます】
「褒めてるわけでもねえけど」
【わかってますってば】口許を不機嫌そうに歪ませたかと思えば、響子はすぐに頬を弛めて笑った。【私⋯⋯、さっきのお話ですけど。質量保存の法則みたいに、いなくなった人の質量もどこかにあるなら、もしかして、それが幽霊なのかなって思ったんです】
なるほど、オカルト好きか、とひとりで納得した。もちろん、それを口に出すことはしない。彼女は自分が唯一まともに会話をすることができる相手だ。機嫌を損ねたいわけではない。
【私は、幽霊がいたらいいなと思います。終わっちゃったらそのまま終わり、だなんて、私は⋯⋯、嫌だな】
「そうか」そう頷くことしかできなかった。
【幽霊を見ることができる超能力者も、どこかにいるんでしょうか?】
「まあ、見える奴がいたとして⋯⋯、そいつは、俺たちのことを認識できねえんじゃねえか」一度、教室の天井を見上げる。それから、目の前に座る超能力者を見た。彼女の口が、言葉の形どおりに動くことは一度もない。超能力を持つということは、本来持つ能力を失っている、ということだ。「幽霊っつうのがどこにいて、どんなものかもわからんが、幽霊を見ることがあの世を見るってことなら、現実世界のこの世を見ることができない⋯⋯、とか、そんなとこだろ」
【なら、その人にとっては、私たちのほうが幽霊なわけですね】
「へえ⋯⋯」その一言に、素直に感心した。「響子にしちゃ、良い考察だな」
【なんですか。私はいつも鋭いこと言ってますよ】
「どうだか」
口の端から、息が漏れた。ただ吐き出しただけの空気。けれど、これが自分にとって精一杯の笑い声だった。