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「でも、超能力なんて使われちゃ、私たち一般人じゃ捜し出せそうもないですね」彼女は空になったマグカップをデスクに置くと、その場に立ち上がって背伸びをした。
「ずっと思っていたが⋯⋯」灰皿の上で煙草を軽く指先で叩き、灰を落とす。「君は超能力について誤解している」
「え?」彼女は珍妙な体勢で此方を見下ろしたが、すぐに椅子に座り直すと、前屈みに顔を近づけた。「どういうことですか?」
「超能力なんて、君が思うほど素晴らしいものじゃない。現在の科学では仕組みを解明できないというだけだ。そもそも、これが機能欠損による症状⋯⋯、つまり、疾患のひとつだと定義されていることを君は忘れているんじゃないかな」
「でも、魔法みたいなことができるんですよね? さっきの係長みたいに」
「その代わり、とてつもなく大きな代償がある」一度、煙草を口につけて煙を吸った。ゆっくりと吐き出すと、色のない灰色の仕事場が、少しだけ白く濁った。「俺たちは、この社会に適合していないんだ」
 煙草を口に挟んだまま、右手を彼女に見せた。手のひらを天井に向け、指を鳴らす。人差し指に火が点いた。
「すごい⋯⋯、何度見てもわかりません。どうやって火を点けているんですか?」彼女は眉根を寄せるとますます前屈みになったが、すぐに、慌てて顔を離した。「わ、熱い、これ⋯⋯、本当に火なんだ」
「君はどうやってライタに火を点ける? コンロにはどうすれば火が点く? 俺にとっては、それと同じだ。まあ、実のところ、指を鳴らさなくても火は点くんだけど」手を軽く振って火を消した。「俺の超能力は発火だ。こうやって、火を出すことができる。フィクションではメジャな力だね。その代わり、俺はライタもコンロも蝋燭も使えない。つまり、これが大きな代償だ」
「代償ですか? でも、うーん、火が使えるならいいじゃん、と思ってしまいますけど」
「そう思えるなら、君は紛れもなく一般人で、この世界に適合しているということだ」
「ひっかかる言い回しですね」
「言っただろう。俺たちはこの社会に適合していないんだ。君が俺たちの感覚を受け入れることができないのは当然だし、それは君が、我々とは異なった、社会に適合した一般人だという証拠になる」
 煙草を指で挟んで持ち、速い息を吐いた。煙の筋が口の端から漏れ出す。彼女は、納得がいかないとばかりに眉を動かした。表情筋がよく動く女だ。
「係長。私、もう少しお話したいことがあるんですけど」
「いいよ。なに?」
「その前に、すみませんが、煙草を消していただけませんか?」彼女はさらに唇を尖らせる。「そもそも此処、禁煙ですよ」
「ああ、すまない⋯⋯、悪気はないんだ。ほとんど無意識に吸っていた」近くの灰皿に煙草を押し付ける。「君の綺麗な肺を汚すつもりは本当になかったんだ。許してくれ」
「わかってます、単に私が苦手なだけですから⋯⋯、ありがとうございます」
「お詫びも兼ねて、今日は君の話にとことん付き合ってやりたいところだが⋯⋯、煙草が吸えないと、どうも落ち着かなくてね」
「飴でも買ってきましょうか?」
「君のコーヒーがもう一度飲みたいな」
「私は、マシンにカップをセットしてボタンを押すだけですけど」彼女はようやく、少しだけ表情を和らげた。「ニコチンの次はカフェインかあ。中毒って感じ」
「それで?」椅子の背にゆっくりと躰を預ける。「超能力に関して、なにか質問があるんだろう」
 彼女はカップを持ってマシンの前に立つと、此方を向いて頷いた。
「代償がどうのこうのって仰っていましたけど、ライタもコンロも蝋燭も使えないって、どういう意味なのかなって」
「うん、やっぱり、君はそこが気になるだろうと思った」
「そう思ってたなら初めから説明してくださいよ」
「こればかりは一度見せたほうが手っ取り早いんだが、君がライタを持っているわけはないしね」
「給湯室に行けば、コンロがあります」彼女は部屋の出入り口を指差した。
「いや、どうせなにもできないんだ。言葉で説明するよ。そうだな⋯⋯、君は、他にどんな超能力を知ってる?」
「えっと⋯⋯、そうですね」マシンのボタンを押すと、彼女は顎に指を添えて悩む。「昨日目を通した過去の捜査資料では、たしか、透視の超能力者が被害者でした」
「その被害者は目が見えなかっただろう」
「目が見えない代わりに透視ができる、ということでしたね」
「つまり、透視能力を得るためには、通常の視力という代償が必要だというわけだ。目が使い物にならないから、別のやり方で視力と同じようなものを手に入れようとする。そういう、脳の機構が生み出した新たな能力が透視だった⋯⋯、というわけだが、その仕組みは解明されていない。俺の発火能力よりは、わかりやすいと思うけれど」
「言いたいことはわかります。でも、不思議です。それだと、目が見えない人は透視能力をゲットできる、ということになりませんか?」
「いや、目が見えない、という条件は、超能力を持つための十分条件ではないよ。先天的に目が見えないだけの人だって当然いる。そちらのほうが間違いなく多いだろうね。だからこそ、これは疾患なんだ」
「病気って言い方も、なんとなく納得がいかないや」マシンが音を立てて止まった。彼女はカップを入れ換える。
「先天的に機能が欠損している。欠損している状態は、正常ではない。一種の障害となることはわかる?」
「まあ、まだわかります」
「そういった症状に加えて、さらに原理不明の代替機能を保有している患者を超能力者と呼ぶことにして、先天性機能欠損症候群という分類名を作ったんだ。ちなみに、俺はⅡ型」
「Ⅱ型?」ボタンを押そうとした彼女が、手を止めて此方を見た。
「超能力者の中でも、さらに細かい分類がある、ということだよ。フィクションで言うところの、ESPとか、PKとか、そんな分類があるだろう」
「フィクションのほうもお詳しいですね」彼女がボタンを押すと、すぐにマシンが動いた。「係長の場合は、コンロもライタも使えないから、脳みそが頑張った結果、なにもないところから火を出せるようになったってことですか? なんだか、うーん⋯⋯」
「言いたいことはわかるよ。Ⅰ型だとわかりやすいんだが、Ⅱ型となると、途端に変な感じがするだろう。そう、たとえば、透視能力がまさにⅠ型だ」
「目が見えない、ならともかく、火を点けることができない病気って、意味がわからないですもんね」
「そういったところも含めて、解明がなされていない。君だって、仮にも超能力者の存在を知り、関わらなければならない立場の人間にもかかわらず、超能力者に関する情報はほとんど得られていないだろう。それだけ謎に包まれているということだ。組織や国が力を入れたくなるのも理解はできる。もっとも、原理が理解されたところでいったいどうなるというのか、ぜひお聞かせ願いたいものだが」
「原理がわかれば、治せるんじゃないですか?」
「そう単純な機構ではないだろうね」
 彼女は適当な相槌を打ちながら、ふたつのカップを持って此方にやってきた。
「ご所望の、私のコーヒーです」
「あれ、君⋯⋯」彼女のカップの中身は、黒い液体だった。「ミルクと砂糖は?」
「私もブラックに挑戦してみようかなって」
「無理じゃないかな。たぶん、胃が荒れるよ」
「一口だけ挑戦してみるくらい、私にだってできます」彼女が隣の椅子に腰かける。「超能力って、何型まであるんですか?」
「Ⅲ型まで」
「へえ⋯⋯、Ⅲ型って、どんな超能力なんですか?」
「実質、Ⅲ型は『その他』だからね。Ⅰ型とⅡ型に該当しない超能力者は、全員Ⅲ型に分類されるんだ。だから、どんな超能力があるかは俺もよく知らん」
 そういえば、自分が見逃した少年少女は典型的なⅠ型の超能力者だった。
 仕事柄、一般人よりも超能力者と関わる機会が多いにもかかわらず、今すぐⅢ型に分類される超能力の例を思い出せ、と言われると難しい。
 しかし、コーヒーに口をつけたところで、脳の回路がうまく繋がったらしい。
廿六木とどろきさん?」
「そうそう⋯⋯」カップを置いて、先ほど投げ捨てた捜査資料を手繰り寄せる。「もしかすると、此処にいるかもしれない。そうなればおそらく、Ⅲ型の超能力者だ」
 表紙を人差し指で軽く叩くと、彼女は飛びつくように捜査資料を手に取った。