第三章 処暑

     4

 子どもたちに連れられて庭で遊んでいると、真崎に声をかけられた。いっしょに遊びたがる三人を宥めながら、真崎が一度、俺の腕を小突く。その合図に頷いてから、俺たちは彼らと別れて家の中に戻った。
 自室に真崎を招き入れ、お互いが聞いた話を摺り合せる。真崎の話は、ほとんどが魔術についてだった。自分は主に、先ほどの兄との会話について話した。
 それぞれ一通り話し終えたところで、真崎はしばらく腕を組んでなにかを考えていたようだが、やがて気が抜けたようにその場に寝転んだ。
「つまり近衛さんは、おひいさんってわけね」
「今どき、おひいさんなんて言う奴おらんやろ」
「大物って、どっちの意味だろうな」
「え?」
「ていうかさ、可笑しいと思わねえ?」真崎は畳に寝転んだまま横を向き、肘をついて頭を支えた。「陽桐さまも、深も敬も、そもそもなんで近衛さんのこと知ってんだよ。あの感じじゃ、たぶんオレの親父も知ってるぜ」
「兄貴とは、前に会ったことがあるとか言ってたけど⋯⋯」
「大体、病院に行けねえってどういう状況だよ。さっきの話聞いても、関東に手ェ伸ばすとか、普通にヤバい案件にしか聞こえねえんだけど」
「実は戸籍がないねんって言われても、正直、もうあんまり驚かへんわ」自分も足を崩し、少し躰を反らせて天井を見上げた。「やっぱり⋯⋯、俺の言うとることって、可笑しいんかな」
「普通は心配するだろ、って話のことか?」真崎は少し笑ったようだ。「べつに可笑しくはねえよ。ただ、まあ、病院まで捜してやるっていうのは、さすがに域を超えてるかもしれねえけど」
「域?」
「ただの同級生、とはちょっと言えねえだろ」
「ああ⋯⋯」顔を前に戻す。「それは、そうやな」
「しっかし、何者だろうな、近衛さん」真崎は仰向けになると、頭の上で腕を組んだ。「そういやオレ、ちょっと気になったことがあるんだけどさ」
「嬢さんのこと?」
「いや、それも含めて、お前の目の話」
「え、なに?」
「さっき言っただろ。魔術と、視界の話」
「チャンネルの話やんな」先ほどの会話を思い出しながら答えた。「視界か⋯⋯、それがテレビの映像で、チャンネルで切り換えられるなら、俺は魔術っていうのとはさらに別の、歪んで視えるチャンネルに無理やり切り換えさせられたってことになるんか?」
「そのことなんだけど」真崎が顔を此方に向ける。「文化祭のとき、お前、初めからあの男たちの攻撃が視えてたよな?」
「あれは⋯⋯、視えたっていうか、捻れ方が明らかに変やったから、なんかある、とは思ったけど。あれが攻撃で、魔術っていうもんやとは、全然知らんかった」
「しかもお前、あの後から、妙に正確に視えてるだろ」
「正確?」僅かに顔が歪んだのを自覚した。「どういう意味?」
「これはオレの勝手な推測だから、言葉は正しくねえかもしれないけど⋯⋯」真崎は寝転んだまま、片足を膝の上に乗せて揺らす。「ときどき視えすぎてる反応をする。深を前にしてたときもそうだ。見えてないはずなのに、嘘を吐いてるとか、動揺してるとか、なにか隠してるとか、そういう、普通ならわからねえはずの、感情の動きっていうの? お前、そういうの読み取るの下手だったくせに、最近は妙に察しが良いからさ」
「あんまり褒められてないことはわかる」
「それと、他人が触ったものを目で追ってたりするしな。物に移る歪みなんて、今まで、そこまで正確に視えてたか?」
「たしかに、意識して歪み方を視るっていう感覚は、あのときに少し掴んだというか⋯⋯、嬢さんの鞄を捜すときに、かなり目ェ凝らしたから、それが癖になってもたんかなって俺は思っとったんやけど」
「もしかしてさ」真崎は足を戻すと、腹筋だけで勢いよく上体を起こした。「お前の目って、生物が歪んで視えてるんじゃなくて、魔とかいうもんが視えてんじゃねえのか?」
「魔って、たしか、エネルギィ⋯⋯、やったっけ」
「誰でも魔臓は持ってるから、その魔っての自体は、生きてる人間なら躰の中で生成されてるってことだろ?」
「そうか、だから、生きてるもんが歪んで視えてる?」
「まあ、全部オレの勝手な想像なんだけど」
「そうなると、嬢さんが歪まへん理由がますますわからんな」
「そう。だから、何者だろうなって話」
 真崎の言うとおりだ。そもそも、俺たちにはわからないことが多すぎる。
 魔術という存在を知った。俺を狙う男たちの存在を知り、この家がなにか対立しているのだと知った。しかし、敵は何者で、なぜ俺たちが狙われなければならないのかはいまだにわからない。この家は、なにをしようとしているのか。
 なにを隠している?
 俺の目は、なにを視ている?
 わからない。
 魔術とは、生物の証なのか?
 ならば、歪まない彼女は何者だ?
 まさか、彼女は、何者かですらないのか?
「そういえば、狭霧が変わったって、皆に言われてんぞ」
「は?」思いがけない話題に、思考は一瞬で霧散した。「なんの話?」
「表情が豊かになったってよ」笑いを押し殺したような声で真崎が言った。「良かったじゃん。もともと笑うより顰めっ面してるほうが多かったけど、ここ数年は特に、表情筋ガッチガチだったからさ。あんな事情があっちゃ仕方ねえけど、突然別人みたいになったら、周りはそりゃ驚くよな」
「そういや、兄貴にも顔がどうとか言われたけど⋯⋯」自分の顔に触れてみるが、よくわからない。「なんか変わったか?」
「昔っぽさが戻ってきた感じ」
「べつに戻ってこんでいい」
「さっきも、ちょっと腹立ってきたって顔してたぜ」
「だって、わからんことが多すぎる。俺らって、襲われた当事者なんやで。やのに、なんで襲われたんかも、そもそもあいつらがなんなんかもわからへんとか、そら腹も立つやろ」
「そうだな」真崎はそう相槌を打つと、欠伸を零して背中を伸ばした。「明日、親父に訊いてみるわ。どうせ、ほとんど教えちゃくれねえだろうけど。お前は?」
「明日は父さんに呼ばれとる。なんか、腕の梵字がなんとかって言うとった」
「その梵字、たぶん、お前が見つからないようにするやつだからな」
「結界とはまた違うんか?」
「オレも詳しくは知らねえけど、そもそも結界ってのは、攻撃を弾くとか、そういう物理攻撃を跳ね返すもんじゃなくて、ただの境界線なんだよな。ここから先は修行のための空間だから、それ以外では入るなよっていう⋯⋯、ああほら、学校の屋上の、立ち入り禁止の鎖みたいなもんなわけ。でも、それに魔術ってのが絡んでくると、防御できたり、見つからないようにしたりできるらしいぜ。坊主っぽく言うなら、結界に御仏の加護を、ってところかな」
「仏さんがほんまにおるってこと?」
「さあ⋯⋯、でも、少なくとも姿形を伴って実在はしないんじゃねえかなと思うけど。出てきても、夢の中くらいだろ」
「夢の中にも、出てきたことないわ」軽く頭を振ってから左腕を見た。もちろん、自分の腕の形は見えない。「俺の腕、そんなことになっとったんや」
「明日はそれの補強でもすんじゃねえの。新しい梵字、増えたりして」
「そういえば、いつ腕に彫られたんやっけ」
「え?」真崎が勢いよく此方を向いた。
「あれ? ちょお待って、なんで覚えてへんのやろ、俺⋯⋯」頭の奥が、一瞬鋭く痛む。嫌な痛み方だった。「今まで考えたことなかった」
「なあ、お前、視界が歪んだ日のこと、正確に思い出せるか?」少し焦ったように、真崎が早口に訊ねた。
「中三の、ちょうど開かずの蔵開けてもうた頃って、前にも言わんかったっけ」
「そうだけど、そうじゃなくて、もっと正確に」
 しかし、自分はそれ以上、なにも思い出すことができなかった。