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「大体、それで言ったらお前のほうがどう考えたってバケモンだろうが。なんもないところから火ィ出せる時点で脅威はそっちだろ」
「認めよう」ヒューゴーは指先に灯していた青い火を消した。
「俺を襲撃してた理由にもなってねえし」
「言っただろう。貴様を見極めておく必要があった、と。だが、実際は無駄骨だった⋯⋯、いや、杞憂だった、というわけだ」
「あ、そう⋯⋯」
「理性、というより、善性による制御がよく効いている」ヒューゴーは一度、自身のこめかみを示すように指で叩いた。「これは、お前たちが自称するところの〈与えられた者〉⋯⋯、すなわち、この特異な認知能力と適性を持つ集団全体の有意な傾向として言えることだが、どうも、その制御によって極めて抑制された状態を保つようにできているらしい。それも、能力値の高い人間ほど、だ。こうなると、与えられた者、ではなく、縛られた者、とでも表現したほうがより正確だろう。システムそのものが生存に不利な環境を選択している、というわけだ」
「はあ⋯⋯」肯定とも否定とも見分けのつかない相槌を打つ。「ぶっ飛んでんぞ、話の間が」
「淘汰によって生き残る、という進化的プログラムではない。川の水の流れに逆らうのではなく、その流れに身を任せる。より発散的な性質が集団そのものの傾向として認められる、という話だ」
「まだわからん」
「熱い紅茶を放置する。温度はどうなる?」
「どうなるって⋯⋯、冷めてくだろ」
「そうだ。それが、ごく自然なエネルギィの流れというものだ。ひとつのカップの中で、水と熱湯が独立に維持されることはない。自発的に低温から高温へ移動することもない。水の中にインクを垂らせば、インクは薄くなる。もう一度インクを取り出すことはできない、と通常は観察される。常に拡散を望むのだ。散逸を望む。十個、百個、とにかく多くのサイコロを同時に投げたとき、出る目がすべて揃う可能性は低い、バラバラである、取り得る状態が多い、そういった、乱雑で無秩序な状態に落ち着きたい。ゆえに、最後には必ず、エネルギィを放出し、残骸になる。それが自然な力の流れであり、安定した状態なのだ。逆に、秩序の維持とは、より確率の低いほうへ向かう逆行であり、発散の抑制だ。そのためには、常に同じだけの打ち消す向きの力を加え続ける必要がある。だが俺たちはどうだ? いずれ消える火種を、しかしお前は保ち続けることができる。そればかりか、火力を増すこともできる。当然、これは見かけ上の可逆だ。実際はその不安定な状態を維持するために、それ相応のエネルギィをお前は使用している。では、俺たちが用いているというエネルギィの正体とはなにか。絶えず燃え続けながら、逆流し、秩序を保つ⋯⋯、さながら、命そのものよな。生命活動によって蓄えられたエネルギィのうち、俺たちが認識し利用している力がそれだ。生命特有の原動力か、或いは素とでも呼ぶべき⋯⋯、それが、〈賜物〉とお前たちが呼ぶものの正体だ」
「じゃあなんだ。俺らは寿命を削りながら力を使ってんのか?」
「命を火種として放出しながらも、一方では自然の摂理に逆らい、命という秩序とエネルギィを生み出し貯蔵している、この機構が特異だ、という意味だ。相反する性質を持ち、矛盾を抱いたまま稼働する⋯⋯、それこそが生命の定義なのだろう」
「わかったような、わからんような⋯⋯」口を少し尖らせる。「でも、生きてないものにだって〈神の力〉はあるだろ」
「それとは区別されるべきだ」
「ふぅん⋯⋯」腕を組む。
「抑制する、という性質自体が自然状態の本性に逆らった在り方なのだ。しかし、この世に存在する以上、どこかでバランスを取り、トータルとして自然状態が成立している必要がある。そのために、集団全体に対してより強く発散方向⋯⋯、すなわち、平衡状態に向かいたい。そういった力がより強く働いているのではないか、という話だ。集団の発展を望まない。できるだけ、生き残りにくい個体に受け継がせたい。その最たる表現型が善性という性質だった、というわけだ」
「善人は生き残りにくいつってんのか? それ」
「そうだ。もしくは、善人のみによる理性的、道徳的、理想的王国の実現可能性に対して、およそ不可能だと直感するその感覚が近しいか」
「ええ? でもさ⋯⋯、その理屈でいくと、お前もめちゃくちゃ善性のもとに生きてる奴ってことになっちまうだろ」
「なにを疑っている?」
「そんな奴はいきなり空から剣持って飛び降りてきたりしねえと思うんだがな」
「無論、言ってしまえばこれらはすべて単なる偶然だ。大いなる意志による意味などどこにもない。しかし、その偶然が、やはり偶然にも成立したために現在まで続いた、というだけの結果論に過ぎん。そもそも、数百年、数千年⋯⋯、こうも驚異的な特性が受け継がれ、今なお生き延びている、という事実そのものが到底信じがたいことだ。常に潜み、なにも求めず、口を噤み、外界との接触を保ったまま、僅かな露見をも未然に防ぐことなどまず不可能だ。それこそ、ある種変異した者にのみ受け継がれ、それ以外は認識する間もなく淘汰されたのでもなければな」ヒューゴーが足を組み換え、姿勢をずらす。「もっとも⋯⋯、善性ゆえに仇となるケースも存在はする。良かれと動いた結果、事態がますます悪化する⋯⋯、といったケースはそこら中で観測できる。そうでなくとも、変異とはアトランダムなシステムによって支えられている。これに依存している、というしくみは大きな欠陥と言えるだろうな。いずれ、そう遠くないうちに滅びる結末には変わりあるまい」
「神もへったくれもねえ仮説だな」
「ならば、神がこの指向性を付与したのだと解釈すればよいだけだ。これで、あっという間に神による犯行のできあがりというわけだな」
「お前な⋯⋯」
「以上が此方の弁明だ。これで満足か?」
「なんか煙に巻かれたような気がせんでもないが、要するに⋯⋯、俺はお前に、人間性テストに一年かけられてたって?」
「左様」
「で、俺は合格したわけ?」
「まあ、そういうことだな」
「そりゃどうも」アーノルドは口角を下げる。「けど⋯⋯、お前にもあったんだな。そういう、なんつうか⋯⋯」
「うん?」
「責任感」
「責任感?」
「だってそうだろ? 色位としてのっつうかさ⋯⋯」
「なに?」一度、ヒューゴーが目を瞬かせる。「ああ⋯⋯」
やがて、彼は堪えきれずに吹き出すと、それをきっかけに高らかに笑い声を上げた。
人の気配のない寒々しい応接室に、ヒューゴーの笑い声だけが響く。
「この俺が? まさか!」
「なあ」アーノルドはうしろの悪魔に言った。「コイツ一発殴っていいか?」
【いいと思うぜ】
「いや、なに⋯⋯」ヒューゴーは笑いを引きずったまま、自身の口もとに手をやった。「そうか、貴様は、よりにもよってこの俺が、色位を与えられた者として⋯⋯、職務として、貴様の監視に努めていたと⋯⋯」また、ヒューゴーの笑いがぶり返す。
「じゃあなんなんだよ」半ば投げやりに訊ね返す。
「なに、単純だ。あくまで俺は、俺の目的のためにだな⋯⋯」
「だから、その目的がなんなんだって訊いてんだろ」
「妹との平穏な暮らしを脅かされるわけにはいかんのでな。世がどうなろうとまったくしもって俺の知ったことではないが、此方に火の粉が降りかかるとなれば話は別だ」
「は?」アーノルドは目を見開く。「妹?」
「貴様が万が一暴走でもすれば、色位などという面倒な立場にある俺にも少なからず影響が及ぶ。お前を放置したことで最悪の事態が連鎖し、災害か、それとも戦にでもなれば、否が応でも巻き込まれることになりかねん。それだけは避けたかったのでな」
「いや⋯⋯」説明の半分も頭に入ってこない。「妹との暮らし?」
「それ以外に俺が求めるものはない。色位などという立場で縛らずとも、此方に危害を加えるような真似さえしなければ俺はなにもしない。俺は、妹と静かに日々を過ごせさえできれば良いのだ。わざわざ自ら面倒ごとに巻き込まれにいくはずがないだろう」