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アーノルドはもう一口紅茶を飲み、テーブルにカップを置く。その後、足を組み、ソファの背もたれに片肘を乗せて腕を広げた。
「エル。悪いが、クロエと会わせるわけにはいかない」
「なぜですか?」エルはすぐにカップをテーブルに戻した。
「さすがに危険だ。許可できない」
「少なくとも、一度はわたしを助けてくれました。危険って、そんな、彼女が⋯⋯」
「クロエもそうだが、問題はヒューゴーのほうだ」
「どういう意味ですか?」エルが眉を寄せる。「銀卿が、その⋯⋯、危険な方だ、というのは理解しています。でも、それはあくまで銀卿のお話であって⋯⋯」
「その危険な奴がいちばん危険になるのが、妹絡みの問題だっつってんだ」アーノルドは硬く大きな声で妹の言葉を遮った。「クロエとお前で万が一なにかがあってみろ。俺の妹だとか、女だとか、まだ若いとか、立場だ犯罪だなんて⋯⋯、そんなもの、アイツにとっちゃなにひとつ抑止力にはならない。アイツは本気で、本当に、お前を排除しにくる。それだけの男だ。お前だって目の前で見ただろうが。あの男が、なにをしでかしやがったか」
「それは⋯⋯」エルは顔を少し背ける。目を瞑るように伏せた。
「お前も知ってんだろ。アイツが銀卿になった年齢」
「え?」アーノルドの突然の質問に、エルはすぐに赤い目を向けた。「あ、ええ⋯⋯、はい。最年少で色位を授与されたって⋯⋯、たしか、十歳、だったかと」
「色位の中でも、〈銀〉はちょっと特殊だからな」そう切り出しながら、アーノルドは少し横を向いた。「悪魔なんていう、とんでもねえモン使役しやがる一族を縛りつけるための⋯⋯、ダルシアク家のためだけに用意された席だ。代々、あの家の当主が継ぐ。つまり、先代の銀卿はアイツの父親だったってことだ。まあ、義理の父親らしいがな。その上、実態は名ばかりで、始祖の血を引いてんのは母親のほうだったらしいが」
「義理⋯⋯、ですか? じゃあもしかして、クロエとは⋯⋯」
「いや。正真正銘の兄妹だとよ」
「そうですか⋯⋯」エルが控えめに一度頷いた。「でも、あの、それって⋯⋯」
「そうだ。前銀卿からヒューゴーに引き継がれたのが十歳のときってことは⋯⋯、アイツが十歳のときに父親が死んだってことだ」背もたれに肘をついた腕で、頬杖をつく。「殺したんだとよ。十歳のときに」
「え?」
エルが、赤い目を一度瞬かせた。薄く唇が開いている。
「協会の上層部の中でもこれを知ってるのはごく一部だ。俺だって、ヒューゴーから直接聞いたから知ってるだけで、一般には伏せられてるからな。知らなくて当然だが」
「殺したって⋯⋯、銀卿が?」
「そりゃな」
「でも、その、まさか⋯⋯。銀の色位を得る、ために?」
「まさか」アーノルドは口の端で笑う。「どっちかっつうと、今すぐにでも色位なんて捨てたくて捨てたくてたまらないって感じだな、ありゃ。俺を〈金〉に推薦したのだって、半分くらい、どうせなら道連れにしてやろうとかいう魂胆だったんだろ」
「じゃあ、どうして⋯⋯」
「言っとくが、ヒューゴーが殺したのは父親だけじゃない。アイツは、そんとき屋敷にいた全員を殺したんだよ。父親も、母親も、使用人も⋯⋯、全員だ。誰ひとり残さずに殺したらしいぜ。ただひとり、自分の妹を除いて、な」
「それが、クロエ?」
「そうなるわな」
「そんな⋯⋯」
「ここまで言えばもうわかるだろ。クロエのバックにいるのはそういう男だ。今回に関しては、さすがに向こうからわざわざこっちに出向いてきたってんだから問題にはならんだろうが、こっちからクロエを呼び出すとなりゃ話は別だ。あの男が唯一庇護対象に置いてる女だぞ。ただでさえこっちはいろいろ問題抱えてんのに、これ以上余計に増やしたくはねえんでな」
「あの」
「あ?」
「彼女のことはわかりました。でも、それって本当に彼女のためだったのですか? もしかしたら、それこそ、興味や快楽のためとか⋯⋯、もしくは、報復、とか。そういう、ただご自分のためだった可能性もあるのでは?」
「そりゃそうかもしれんが⋯⋯」妙な質問だった。それも、随分と唐突な質問だ。「いや、前者はねえな。けど、報復ったって、まずアイツに攻撃を通せる奴がいんのかって話で⋯⋯」
そこでふと、先ほどのヒューゴーの言葉を思い出した。
レディによろしく伝えてくれ。
そうだ⋯⋯、
なにを?
突如、とんでもない予想が頭を過ぎった。
エルを見る。
「なあ、お前、まさか⋯⋯」アーノルドの口が引き攣った。「ヒューゴーに呪いをかけたなんて言わねえよな、まさか⋯⋯」
エルがアーノルドを睨んでいる。
「かけてはいません」彼女は不機嫌な様子で、僅かに視線を逸らした。「正確に言えば、ですが」
「かけたな?」
「未遂です」
「それをかけたって言うんだよ」額を手で押さえる。「お前なあ⋯⋯」
「兄さんたちを窓から見ていたのは事実です。それで、つい⋯⋯。でも、かける直前に弾かれました。そもそも、呪いといっても空打ちです」
「空打ちってなんだよ、空打ちって」
「空打ちは空打ちです。どのみち、あの短時間で編みきることなんてできません」
「編むって?」
「え?」
「あ、いや⋯⋯、なんでもない」アーノルドは溜息をついた。「ちょっと変わったイメージだなと思っただけだ」
「イメージですか?」
「ほら、なんかあるだろ⋯⋯、そういうの。ヒューゴーんとこの悪魔はたしか、この世界は舞台みたいなもんで、俺たちはその楽譜を書き換えてるイメージだ⋯⋯、とかなんとか言ってたけど。そういう、認識のイメージっつうか⋯⋯」
「はあ⋯⋯」エルは斜め下を向き、テーブルの縁あたりに視線を落とした。「イメージ、ですか⋯⋯」
「編むイメージってことだろ?」
「ええ⋯⋯。あの、あくまでたとえばです。ただ、わたしの場合は、糸を手繰り寄せて編んでいくような⋯⋯」彼女は控えめに手を動かしながら説明した。「糸が交差したり、もつれて、引っ張り合ったり、離れたり⋯⋯、そういうのがずっと広がって、ひとつの織物になっているイメージ、というのがいちばん近いかもしれません。だから、その糸を手繰り寄せて、編んで、固く結んでしまう、みたいな⋯⋯。反対に、呪いを解くときは、その結び目を解いていくイメージです」
「へえ。じゃあ、解けない呪いってのは、解けない結び目か?」
「ええ。そういうことになるかと」
「そんな結び目、実際に結べるもんかね」
「いえ、難しいと思います。結ぶことができた以上、時間や労力をかけさえすれば、必ず解くことができるはずです。結べた以上、絶対に解けない、というのは⋯⋯」
「なら、時間と労力をかけさえすれば、いつかはお前のその目も解くことができるってことだ」
「まだそんなことを仰っているんですか?」エルが微かに顔をしかめた。「いえ⋯⋯、仮にもしそうだったとしても、必要な時間と労力がまったく現実的ではありません。正直、寿命のほうが先に来ると思いますけど」
「そうかよ」アーノルドは鼻を鳴らす。口角はいつのまにか、不機嫌に下げられていた。
「兄さん」
「あ?」
「なにを企んでいるのですか?」
「なんも企んじゃいねえよ」
エルはアーノルドを見定めるようにして見据えていたが、しばらくして、彼女は力を抜いた。それから、緩やかに頭を横に振り、俯く。曲線的な細い金髪が、その動きに合わせて揺らされた。
「とにかく、解呪はまったく現実的ではありません。もっとも⋯⋯、どのようにすればこんな呪いを実現することができるのかとは、たしかに思いますが」
「どのようにって?」
「何人がかりで、とか、なにを使えば、とか⋯⋯」
「ふぅん⋯⋯」アーノルドは、やはりな、という相槌を、頭の中でだけ呟いた。