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「ご存じで⋯⋯」やがて、執事が慎重に訊ねてきた。
「いや。鎌かけただけだ」
「鎌?」
「仮に、その爆弾の威力が低かったとしても、だ。床は損傷してんのに、至近距離にいた人間は無傷ときた。少なくとも、エルが破片でひとつでも傷を作ったんなら、無傷だ、なんて断言はできないはずだ。そうだろ」
「はい、それはそのとおりですが⋯⋯」
「てことは、爆風だなんだを咄嗟に相殺したんだろ。エルがそんな判断できるとは思わねえし、そうなると、あとはこの靴痕の女くらいだ」
「靴痕⋯⋯」執事は少年の手を見下ろした。
「床はやられてるが耳も無事、怪我もないってこたあ、大気の流れ自体を無理やりコントロールして、お前らを守ることを優先したか。そんなことが咄嗟にできて、しかも、いくら子どもだか機械だか相手とはいえ、爆弾持ってる奴の足を踏みつけられる女とくりゃ、自分の周りにはクロエしか思いつかねえよ」
「なぜ、女性だと?」
「足のサイズで大体の見当はつく」
「もしやとは思いますが⋯⋯」執事は一歩、アーノルドに近づいた。「この少年は、銀卿が差し向けた刺客なのでは⋯⋯」
「それはない、と言いたいところだが⋯⋯」アーノルドは後ろ髪を二、三度、雑に掻き毟った。「いや⋯⋯。アレの目的が本気で意味不明な以上、断言は危険だが、それでも、もしこれがヒューゴーの差し向けた刺客だったとしてだぞ、わざわざクロエが来てお前らを助けたりするか? それとも、これは全部仕込みで、あの兄妹が俺の心象を少しでも良くしようと企んでるって? 考えただけでぞっとするぜ」
「しかし、彼女は、来訪を卿に知られることを拒んでおりました。それに、あのように突如姿を現わすことができるのであれば、この少年もまた、同じように現れた可能性もあるかと⋯⋯」
「もし本気でエルを狙ってたんなら、エルが寝てる間に、寝室に現れればいいだけのことだ。こんなまどろっこしい方法を取る必要はねえな」
「ええ⋯⋯」執事が肩の力を抜く。「差し出がましい真似をしました」
「俺の言葉を信じる必要はない。むしろ、疑ってかかるべきだ」
「いえ⋯⋯」
「しっかし、やっと応接室が直ったと思ったら次はこれかよ。ヒューゴーは来るわクロエは来るわ、爆弾は持ち込まれるわ⋯⋯」溜息をつく。「まったく⋯⋯」
「各所への連絡はいかがなさいますか?」
「警察にも協会にも連絡は一旦保留でいい。今は⋯⋯、ちょっと、下手に情報を外に漏らしたくない」
「承知しました」
「エルはどこにいる?」
「寝室で少しお休みになられております」
「わかった」
「アーノルド様⋯⋯」執事が低く静かに、名を呼んだ。「いったい、今⋯⋯、なにが起こっているのですか?」
エントランスホールで、アーノルドは執事と向き合った。
執事は、アーノルドの父親よりも年上の、体格の良い男である。身長はアーノルドとあまり変わらない。寡黙な性格と厳格さが鼻先にまで滲み出た顔つきで、垂れ目がちの、神経質な細く鋭い目もとが印象的な男だった。
「悪いが、詳しいことはなにも言えない」
「お嬢様の身に、いったいなにが?」
「だめだ。協会の機密に関わりすぎてる」頭を横に振る。「ただ⋯⋯、この屋敷の人間に危害が及ぶことはないと、約束できるようにはする」
「いいえ、そうでは⋯⋯」そこで言葉を切り、執事はゆっくりと息を吐き出した。「あの、いかがなさいますか? この、エントランスですが⋯⋯」
「もし本当にこれが自動人形なら、下手に運び出すのもな⋯⋯。とりあえず倉庫にでも置いておくか?」
「かしこまりました」
「修理は⋯⋯、うーん、クロエが嚙んでるなら完全に無関係なできごとってわけじゃねえだろうし、頼めば直してくれるかもだが⋯⋯、いや、やめとくか。どっか依頼しといてくれ」
「そのように」
「それと」アーノルドは執事を睨む。「悪いが、俺は特にお前を処分なんてするつもりはない。俺に家の全権があるわけでもないしな。処分が欲しいってんなら、俺の両親にでも頼んでくれ」
「いえ、ですが⋯⋯」
「頼むから、辞めようなんて思うなよ」低い声で、彼は告げる。「辞めずに働け。それがお前への罰になるなら、それが処分だ」
アーノルドは執事の制止を無視して大広間を抜けると、研究室に足を運んだ。
扉を開ける。
無人の手狭な部屋。奥のカーテンは閉じたままだ。
薄暗い部屋の中。
コートと通信機をテーブルの上に置く。
アーノルドはソファに乱暴に腰を下ろすと、そのまま横になった。持ち上げた腕で目を覆い、ソファの肘かけに足を乗せて脱力させる。
ヒューゴーと剣を交わしたあの数分間で、疲労が全身に蓄積している。
肺に熱が届かないように。口腔を炎で満たさないように。けれど、全身を巡る呼気に炎を回収し、コントロールし、維持する。ループ処理さえ手動でおこない、高速で無理やり圧縮した、詠唱をしない省略指示の連続使用。全身の筋肉と神経系の強化と自動回復。意識の指向性の調整。並列思考の補強。
明らかに、それらからの回復が間に合っていない。
ぞわぞわと、意思を持つように列を成し、躰の内側でなにかが這いながら、微かに怠い重さを伴って張り巡らされていく感触。
先日、応接室を清掃するため、悪魔に魔力を回収させた、あのときの感触と同じ。
【べつに火なんて出さなくたっていいんだがな。ただ、お前さんがいちばん、魔力ってモンを意識しやすいだろうってだけの話だ】あの日、応接室の掃除を終えた悪魔は、会話の中でそう説明していた。【自分の魔力をなにに乗せて、例の〈神の力〉⋯⋯、さっきの喩えで言うところの楽譜に干渉するかは好き好きだからな。口から声に出して、大気に自分の魔力を混ぜちまうほうが得意な奴もいりゃあ、自分の血や髪で手っ取り早く済ませる奴もいる】
「そういや言ってたな。血でもいいが、とかなんとか」
【魔力ってのは、ほとんど血みたいなモンだからな。躰ン中で絶えず作り出されて、躰の隅々まで循環する⋯⋯、それと同じだ。魔力も、体内の臓器で生成されてるエネルギィだし⋯⋯、そんで、それがずっと躰ン中を循環してる。だから、魔力っつうのは、なにもしてなくても、ただ生きてるだけで、常に躰の隅々まで浸透してるモンだ。もちろん血にも、髪にも、お前さんの肉片のどこを切り取っても⋯⋯、ほら、心当たりはあるだろ?】
「呪いの常套手段だな」アーノルドは自分の伸ばした後ろ髪に触れた。「俺はあんま使ったことねえけど」
【ただよ、血から回収できるのなんて、せいぜいその血に含まれてる魔力分くらいだろ。だから、お前さんの体内から引き摺り⋯⋯、おっと失礼。巻き上げやすい方法を使っただけだ】
「それが火か?」
【坊ちゃんの場合はな】
目を開ける。
一瞬眠っていたらしい。
腕を下ろし、天井の薄暗いシャンデリアをぼんやりと眺める。
それから、横目で、テーブルの上に置いた通信機を見た。
筒の側面の、小さな部品が見える。
機械的な部品だった。
精密な機構。
それによって成り立つ精巧な機械⋯⋯、
自動人形。
気になる共通点だった。
事件当日、理事が持っていたという通信機。
エントランスに爆弾を持ち込み、自爆を試みた自動人形。
明らかに発達した技術の組み合わせ。
アーノルドは躰を起こし、ソファから立ち上がる。既に、疲労感は落ち着いている。耐えられないほどではない。
髪を結び直す。
通信機を、奥のデスクの引き出しの中に移動させ、コートを片手に持つと、彼は研究室をあとにした。