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結局、アーノルドは詳細を語ることなく協会支部をあとにした。理事たちが聖戦と呼んだ組織への制裁について、どこまで伝えてよいものか、今の自分では正しく判断できなかった。
色位を持つアーノルドですら、組織の存在をまったく知らなかった。正直なところ、アーノルドは今でもまだ組織の実在を完全には呑み込めていない。
ただ、やはり、殺された五人がなぜ、せめて協会の上層部で組織の情報を共有しなかったのか、という点が引っかかる。それにしては組織の内情を知りすぎていた点についても、だ。
下手に情報を話すべきではない。
しかし、話さなければ、自分はそのときが来るまで指を咥えて待つことしかできない。
組織がどの国で活動しているのかさえ、自分は知らないのだ。
訊ねる前に、殺されてしまった。
アーノルドは重く溜息をつく。
ヒューゴー・ダルシアクの行動は、考えれば考えるほど、自分へのとんでもない嫌がらせのようにしか思えなかった。
屋敷に戻り、服を着替えてから、アーノルドはヒューゴーに連絡を取った。
予想はしていたが、今回の件について、協会による調査はこれでひとまず終了となった。協会全体に公表されることもない。形だけの捜査をおこない、理事会のメンバを早急に任命する。それで終わりだ。
応接室を清掃する許可も得た。
そのため、ヒューゴーに連絡を取ったのだが、応答したのはヒューゴーではなく悪魔だった。
いかにも執事然とした老人の悪魔で、名をヨルゴスという。先日アーノルドの屋敷に現れた悪魔・ディミトリスの次に、アーノルドが何度か対面したことのある悪魔だった。もっとも、今はヨルゴスの声だけがアーノルドのもとに届いている。
ヨルゴスの声は、アーノルドが片手に持つ小型の通信装置から聞こえている。懐中時計とよく似た形状をしているが、中身は時計ではない。文字盤には数字ではなく、小さな文字が円形に彫られている。中央の窪みには半分に割った水晶の小さな玉が埋め込まれており、そこからヨルゴスの声が聞こえていた。割られた水晶のもう半分はヒューゴーの手もとにある。元は同じひとつの石を互いに持つことで、共鳴の原理を用いて音を伝達することができる、というしくみだ。
アーノルドをはじめ、〈秩序の隠れ家〉に所属する会員は、世間一般には魔術師と呼ばれうる異端の存在である。
しかし、少なくとも協会は、自らの特別な能力はあくまで唯一の創造神によるものとし、異端の神に依存した魔術ではない、と主張している。魔術師という呼称を避け、その代わりに、自らをギヴン・ワン──〈使命を与えられた者〉と称することがたびたびあった。
この世は、神の手によって創造された。
それゆえに、この世のすべてには〈神の力〉が少なからず含まれ、組み込まれている。その証拠に、アーノルドたちは内包されるその力の一端に触れ、それを操ることでなんらかの現象を任意に起こすことができる。アーノルドが着火装置を持ち歩いているのは、彼が炎に含まれる〈神の力〉の操作をもっとも得意とするためである。
しかし、聖書には、彼らのような存在が生み出された記述はない。むしろ、聖書では神や使徒たちがもたらす奇跡以外の神秘については強く否定し、これを禁じている。そのような力を持つ選ばれた者が存在する、という事実も、聖書が述べるところと大きく食い違っていた。アーノルドたちのような存在は、聖書の記述にはまったくそぐわない、ということになる。
この矛盾に、協会の歴史はひとつの結論を得た。
曰く、我々は、自らの存在を徹底的に秘匿しなければならない。
つまり、聖書に記述がない、ということそれ自体が、完全に秘匿せよというメッセージなのだと解釈をしたのだ。
一方で、自分たちが現実に存在している以上、そこにはなんらかの意味があるはずである。神の力に触れ、それを操作し、この世に反映する人間の存在。それは、神による創造の事実を示す生きた証拠であると言える。
目に見えない神の力を示す者。しかし、それを秘匿し、すべての誘惑に打ち勝ち、与えられて尚、神の意志に従い、真の信仰を示す、という試練を担う者。
それが、協会による主張である。
アーノルドは、この理屈に関しては少々懐疑的だった。だが、自分たちが徹底的に秘匿されるべき存在であることは火を見るよりも明らかである。これが自分たちに課せられた試練なのだと言われれば、アーノルドは微妙な角度で、それでも尚頷かざるを得なかった。アーノルドは金の色の名を冠する、当代の金卿である。たとえこの色位と呼ばれる称号が伝統的なものでしかなく、実質的にはなんの権限も持たないとはいえ、色位を持つ彼らはその最高位の名誉に比例して、下手な対応ができない立ち位置にいる。
もっとも、つい先日、協会の理事を皆殺しにするという考え得るかぎり最悪の対応をとってみせたのが当代の銀卿、ヒューゴー・ダルシアクであるのだが。
『たいへん申し訳ございません、アーノルド様』ヨルゴスの声が届く。悪魔である彼ならばアーノルドの感覚器に直接声を届けることもできるはずなのだが、わざわざ彼は鉱石を通してアーノルドに声を届けている。『主人には、ただいま一切の情報を寄越すなと申しつけられておりまして⋯⋯。ですので、言伝は数日後になるかと思われます。もしよろしければ、ご用件だけでもお伺いいたしますが、いかがなさいましょうか?』
「家にはいるのか?」アーノルドは手もとの透き通った石に向けて喋った。
『いえ、不在でございます。屋敷には私のみでございまして⋯⋯』
「え? ああ⋯⋯、じゃあクロエもいないのか」
『はい⋯⋯。おふたりは今、ええ、なんと申しますか、たいへん申し上げにくいのですが⋯⋯、その、ご旅行に⋯⋯』
「は?」思わぬ単語に声量が一段階引き上げられた。「旅行?」
『はい』
「昨日の今日でか?」
『はい、恐れながら⋯⋯』
「どこに?」
『少々東のほうへ⋯⋯』
「東って⋯⋯」アーノルドは口を斜めに下げて引き攣らせた。彼のいる国からしてみれば、ほとんどの国が東に位置している。「まさか観光だとか抜かすんじゃねえだろうな」
『ご用事が済み次第戻られるとのことです』
どうやら逃亡を図ったわけではないらしい。そして、そんなことを考えた自分に、少し馬鹿馬鹿しさを感じた。
たしかにヒューゴーは今、協会の理事を五人も殺害したシリアルキラである。協会に追われる身ではあるが、しかし、彼にかぎっては今さらとも言えた。
ヒューゴーが逃亡する意味はあまりない。
そう踏んでいたため、少なくとも連絡は取れるだろうと考えていたのだが、まさか早速旅行に出るとは誰が予想できただろうか。
「悪いが、応接室の清掃を頼みたい。ヒューゴーに話をつけといてくれ」
『あ、ええ、その件についてはご心配なく⋯⋯、既に聞き及んでおります。協会による捜査が済んだ頃に必ずお伺いするようにと、主人から仰せつかっておりますので、アーノルド様さえよろしければいつでも参りますが、いつ頃がご都合よろしいでしょうか?』
「今日でもいいのか?」
『はい、もちろんでございます。捜査は本日?』
「あ、いや、それはもう終わった。当日に遺体の回収に来たっきりだ。まあ、どうせ形だけの捜査だろうとは思ってたが」
『左様でございましたか⋯⋯。でしたら、お早いほうがよいですね。一時間後、というのはいかがでしょうか?』
「清掃って、時間はかかるか?」
『いえ、問題ないかと』
「じゃあそれで頼む」
『かしこまりました。たいへんご迷惑をおかけしております』
「ああ⋯⋯」アーノルドはようやく、最後まで息を吐ききることができた。「ほんとにな」