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あの日、代表理事である老人がアーノルドと彼の妹に告げた内容は、エルに致死の呪いを付与したこと、そして、その呪いは聖戦における最大の切り札である、という内容だった。
「我々は神を証明する者。我々は神の名を知り、真理の光を見る者。しかし、我々という存在は、常に秘されなければならない。それが我々の第一にして原点であり、そして、我々はこの与えられし力を、神の意向のために、或いは、神の存在をたしかに知るためにのみ用いるためのものであると知っている。しかし、人というものは、愚かにも力に目が眩み、偽りの万能感に溺れ、より多くを求めて対立し、争い、奪うもの。そう、いつの世も⋯⋯、非常に残念なことだ。今も、そう、おそらくは、錬金術の一派の系譜を継いだものと思われるが、恐ろしい⋯⋯、とても恐ろしい集団なのだよ、金卿。我々は彼らのことを、単に組織とだけ呼んでいるが、この組織というものは、今に現れたものではない。ただ、協会の内部でも、組織の存在についてはごくごくかぎられた人間にのみ伝えられてきた。組織については、話し合う必要もない。それほど、早急に排除せねばならないことは明白だったのだ。しかし、我々は秘匿されなければならず、そしてまた、制裁自体が露見することも、我々の望むところではない。それが、ようやく、数年前に我々はまたとない機会を得た。それは、ある種では、おぞましい知らせでもあったわけだが、この機を逃すことだけは、なんとしても避けなければならない。そういう、またとない、ただ一度きりの機会なのだ」
「その組織は、具体的にどのようなことを?」アーノルドは訊ねる。
「ああ⋯⋯」老人は掠れた息を重く絞り出した。それから、肘をついて姿勢を前傾させ、口もとで両手の指を厳しく組むと、摩耗した薄い瞼を下ろした。「人の手によって、人を造る、というのだ」
「造る?」
「その組織では⋯⋯、人間を造るのだ。まるで神のように⋯⋯。おわかりかね? 子どもを産むのではない。人間を造る。それは、つまるところ、神の成されたことを、人の手で成し遂げたい、という思考に他ならないものだ。神と成る、という理念。その思想を同じくした人間が集まっていること、そして、それを実際に成し遂げつつあるという事実。そして、そう⋯⋯」老人の声から、明らかに生気が失われた錯覚がした。「今、この世には、たしかにアダムが存在するのだよ。金卿」
「アダム?」アーノルドが眉を寄せる。「その⋯⋯、アダムが存在する、とは?」
「その名こそ、組織が、生命を人の手で創造した、という証左なのだろう」
「人間が人間を造った、と?」アーノルドはそう繰り返したが、言葉にしても、やはりその言葉の意味が理解できずにいる。「さすがに、信じがたいお話です。なんというか⋯⋯、正直なところ、突拍子もない、と言わざるを得ないかと」
「そのとおり」老人が揺れるように何度も頷いた。「受け止めること自体が冒涜的であろう。そうとも、困難なのだ。だが、どのみち、もしも仮に、これが事実ではなかったとしても、結局のところ、我々の進むべき道に変わりはないように思われるのだ。つまりだね、金卿⋯⋯」老人はゆっくりと動きを止め、皺の隙間からアーノルドを睨む。「どちらにせよ、この組織が実在することさえ事実であるならば、我々はこの組織を排除せねばなるまい」
「理解します」しかし、アーノルドはいまだ、この話の進む先がわからない。
「そして、アダムが生まれたのであれば、次に生まれる者の名の答えは自ずと知れる。想像も及ばぬ新たな形で生み出された初めての生命にアダムの名がつけられたのであれば、次に生まれる命の名はひとつ」
「イヴ」アーノルドが答えた。
「まさに生まれつつあるのだと⋯⋯」
「ふたりめが、ということですか?」
老人は頷いた。
「そんな組織が本当に実在できるのですか? いったい、どこに? どうやって?」
「組織の活動場所、というよりも、それらの本拠地や今後の手筈については、のちほど、貴殿も知ることになろう」
アーノルドはこの時点で、強烈な違和感を覚えていた。
組織の存在を、動向を、現状を、協会が把握しすぎている。
スパイがいたのだろうか。
だとしても、組織の奥深くまで潜り込み、ここまで情報を得られているのであれば、たとえ制裁の露見を恐れて慎重にならざるを得なかったとしても、事の運びようはいくらでもあったはずだ。
こうなる前に組織を潰し、対処することができなかった、という事実。
それも、違和感。
元は協会から派生し、道を外れた一派なのかもしれない。
しかし、
たとえそうだとしても⋯⋯、
いや。
アーノルドはそこで、素早く意識を浮上させた。
瞬間的な加速のためか、頭が一瞬、クリアになる。
老人が、鈍く光る浅い色の目をアーノルドに向けていた。
「人の手で生命を、或いはこの世の事象のすべてを意のままに支配し、制御すること。いつの世も、人間というものは昔からずっと、老いることを拒み、永い命を望んできた。それは、つまりだね、回帰にも似た根源的な欲求なのだよ。人類の祖が選択を犯す前には、当たり前に手に入れていたものを求めている。罰として奪われたそれらをだ」
「まさかとは、思いますが⋯⋯」
「そうだ」
「次は、不死の人間を造る、と?」
「そうだ」老人は肯定を繰り返した。「人間の欲求はとどまることを知らぬ。人間というものは、結局のところ、愚かにも醜い欲望が持つ名に過ぎないのやもしれぬ。そうは思わないかね? え?」
「ええ⋯⋯」アーノルドは曖昧に頷いた。
「しかしだ、現実に、この世に今、アダムと呼ばれる、人の手によって生まれた始まりの人間が存在し、そして次は、イヴが生まれつつあるのだとして⋯⋯、この場合、組織を排除するということは、ある意味で、このふたりを排除することだとも言えよう。ここまでは、おわかりかね?」
「はい」
「では、アダムとイヴが排除されるために必要なものはなにか?」
「排除されるために?」アーノルドにはまだ、この話の着地点が見えない。しかし、創世記においては、たしかに自明の問いかけであった。「罪を背負い追い出されたという意味であれば、彼らを唆すという蛇と、果実か⋯⋯、いえ、しかし、これはあくまで⋯⋯」
「そうだ。それが、妹君の呪いであり、貴殿に背負っていただきたい役目なのだ」
「え?」
アーノルドは、横に座っている妹を見た。
妹もまた、此方を見たところだった。
赤い瞳。
突如、変色した⋯⋯、
赤。
果実?
「妹君は今、果実そのものなのだ。そして貴殿は蛇として、有事の際には、その果実を摘み、イヴを、アダムを、排除するための起点を生み出す。それが貴殿らの役目だ、ということだ」
「果実を⋯⋯、摘み取る?」
「端的に言えば」老人は一度、言葉を切った。「殺していただくことになろう」
「俺が?」
「そのとおり」
「妹を、殺せと?」
「貴殿の意思に関わらず、そのときが来れば、そうなろう」
「どういう、」
「イヴの誕生を以てして、果実もまた生まれる。これはつまり、イヴが誕生するまでは、この呪いは不完全である、とも言い換えられようが⋯⋯」
「いや、そもそも⋯⋯」アーノルドは誰に向けるでもなく、頭を横に振った。「そもそも、なぜそのような方法を? いえ、その前に、つまり、貴方がたは今、妹に呪いをかけた、と言ったのですか?」
「そうだ」
「妹が、俺に殺されるように?」
「そうだ」
「妹に、いずれ死にいたる呪いをかけたと?」
老人が頷く。
アーノルドが受けた説明は、これだけだ。
詳細はなにひとつわからないまま。ただ、彼らがアーノルドたちに事前の通告もなく呪いをかけたという、ひどく侮辱的な事実。
そして、妹の目が呪いによって変色した、という事実だけがたしかだった。